【代表 高橋宏典が語る】あまた株式会社が目指すエンターテイメントとは。

 

モバイルオンラインゲームを中心に、VRタイトル『Last Labyrinth(ラストラビリンス)』、映画『劇場版 ファイナルファンタジー XIV 光のお父さん』など、幅広くエンターテイメント事業を展開しているあまた株式会社。

ゲームの世界で常に先端を追い続けてきた社長の高橋宏典は、ヒット作『どこでもいっしょ』のディレクターとして知る人ぞ知る存在だが、そのパーソナリティについて語られることは意外に少ない。

今回は、あまたの創業社長としての高橋に、今に至るまでの道のりと、あまたがこれから目指していくビジョンについて聞いた。

 

あまたは「エンターテイメントの会社」

 

――ここ最近、「あまた」の名前を様々なところで見ることが多くなってきました。ということで、会社の自己紹介をしていただければと思います。

 

高橋:大枠では、エンターテイメントの会社です。コンテンツやサービスを作る会社ですね。
今の主力事業はゲームスタジオとしての開発事業で、コンシューマからスマートフォンのオンラインゲーム、さらにはVRのゲームまでを作っています。それ以外では、映像事業として、ドラマ『ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』、ドラマ『ゆうべはお楽しみでしたね』、そして『劇場版 ファイナルファンタジー XIV 光のお父さん』の企画・プロデュースにも関わっています。
さらに、まだオープンにできない話も含め、エンターテイメントの中で、幅を広げているところです。

 

――もともとはゲームの裏方のイメージが強いですが、近年はパブリッシャーの事業も始めていますね。

 

高橋:もともとモバイルでは自社でもやっていて、フィーチャーフォン(ガラケー)のモバゲーやGREEの頃には自社のソーシャルゲームも出してはいたんですけど、コンソールやPCのプラットフォーム向けのゲームでは『Last Labyrinth(ラストラビリンス)』が初ですね。

 

映画青年から、ゲーム業界へ

 

――あまたに至るまでの、高橋さんのこれまでのキャリアを、改めて教えていただけますか。

 

高橋:年代的には、小学校ではアーケードゲームからマイコンのゲームに触れて、中学校あたりでファミコンブームが来た世代です。デパートの屋上でアーケードゲームを遊んだり、ファミコンを買ってからは『ドラゴンクエスト』も遊んだり。
『ドラクエ』については、月刊OUTで読者コーナー連載を持っていた堀井雄二さんが「今度こういうゲーム作るぜ!」って言っていた頃から知っています。『ゆうべはお楽しみでしたね』の打ち上げで、堀井雄二さんご本人にも「OUT読んでました!」ってお伝えしました(笑)。

 

――なんと、堀井さんご自身にも(笑)。

 

高橋:高校からは映画を撮り始めて、大学時代も映画のサークルに入っていました。その頃、映画サークルもビデオに移行していた時期でしたけど、8mmフィルムで撮っていたので、すごいフィルム貧乏で(笑)。なのに、なぜかDOS/VマシンのPCは持っていたんですが。
就活の時にも、映画会社を中心に受けました。ちょうどその頃、映画会社やレコード会社がスーパーファミコンのゲームも出している時期ではありましたね。

 

――そんな中で、どうやってゲーム業界に?

 

高橋:テクモ(編注:現在はコーエーテクモに経営統合)が夏頃になっても説明会をやっていて、応募してみたら内定をもらったので、そのまま入っちゃいました。
もう一社、文系でもSEになれるような会社からも内定をもらっていたんですけど、もう就活めんどくさいし、なんかゲーム会社が面白そうだからまあいいかと。高い志は全然なかったです(笑)。

 

 

 

――テクモといえば、当時はゲーム業界の中でも、新人研修の仕組みがしっかりしていることで有名でした。

 

高橋:入ってから分かりましたが、社内に新人向けの専門学校を置いてプログラマーを養成しているような形でしたね。なので、会社に入ってから、これはこれで面白い仕事だと知っていった感じです。
当時はパソコンを持っている人自体が少なかったので、たまたまパソコンを持っていた僕は研修で上位組になったんですが、何となくプランナー向きということでプランナーに配属されて、アーケードゲームを作っていました。最初にプランナーとして関わったのは『脳力向上委員会』(1995年)というゲームです。

 

――当時は家庭用機よりアーケードのほうが技術的に先端でしたから、最初から先端市場に関わっていたわけですね。

 

高橋:そうですね。市場も大きかったし、機能もアーケードのほうが高かったです。

 

『どこでもいっしょ』を経て、オンラインの世界で創業へ

 

――テクモには何年くらい在籍したんですか?

 

高橋:3年です。次が決まっているわけでもなく、ただ辞めました。その後、派遣社員などで1年ほどを過ごして、ソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE、現SIE)に入りました。
そもそもSCEには、「ゲームやろうぜ!」の第2回募集に応募したんですが、なんだか社員向きだということで社員になっていて。まだプレイステーションが成功するかどうか、という雰囲気もあった中、「ゲームやろうぜ!」のディレクターのひとりとして、3~4チームの面倒を見る役割になりました。
その中のひとつが、『どこでもいっしょ』(1999年)を作ったチーム(現・株式会社ビサイド)です。現・あまた副社長の増田のチームもありました。

 

――『どこでもいっしょ』も非常に先鋭的なゲームで、ポケットステーションで外に持っていけたり、後には『iモードもいっしょ』で通信にもつながったりと、他にはない作品でしたね。

 

高橋:『iモードもいっしょ』はオープンと同時にサーバーが落ちて3日くらい寝れなかったとか、色々苦い思い出が……。当時、プレイヤーの方には大変なご迷惑をかけてしまいましたが、この時にネットワークの仕組みを勉強させていただいたので、後々モバイル時代にも役に立ちました。
『どこでもいっしょ』がヒットして、肩書もディレクターからプロデューサーになって、ディレクション部分の仕事は変わらないながら管理職になって部下もできてと、およそ6年をSCEでやらせてもらいました。

 

 

――年齢的には、おおよそ30過ぎというところですね。

 

高橋:ただ、何しろ激務だったんですよ。帰るのが2時3時は普通で、22時過ぎに終わると「今日は早いな」というくらい。それでSCEを辞めて、まったく仕事をせず、1年半ほど完全にニートを満喫しました。
そろそろ貯金も尽きるなという頃に、SCEで一緒だった方に誘われてフロム・ネットワークスに入り、MMORPGの『ストラガーデン』のパブリッシングを1年ほどやることになりました。

 

――当時では数少ない国産MMOPRGですね。そこでオンラインゲーム開発を経験するわけですか。

 

高橋:その後は、韓国のスタートアップから声がかかって、日本の企画メンバーと韓国の技術メンバーでオンラインゲームを作るために韓国に渡りましたが、これは立ち上がりそうもなくなり、半年ほどで日本に帰ってきました。
で、帰ってきたら今度はキューエンタテインメント(当時)で『ドルアーガの塔』のオンラインゲーム(『ドルアーガの塔-The Recovery of BABYLIM-』、2008年リリース)を作ることになりました。このときに現・副社長の増田にも声をかけて、組み始めたのはそれからですね。これを3年弱やって、役を終えました。

 

――会社員生活は、このあたりまでですか。

 

高橋:そうですね。そろそろ自分で何かやろうか、ということで、あまたの前身、株式会社たゆたうを作りました。作ってから、いろいろ面倒だなと分かり、ちゃんとやらないといけないんだなと思って、また増田を呼んで、一緒に始めたという感じです。

 

――思いの外、ふわっと始めた会社なんですね。壮大なビジョンがあったわけでもなく。

 

高橋:まったくなかったです(笑)。増田に来てもらってから、事業内容から改めて考え直したくらいで。自分たちの強みであるゲーム開発と、成長マーケットなら新参者も太刀打ちできそうということで、モバイルインターネット領域とゲームの掛け合わせの分野でやろうかということになりました。
当時はmobageが伸び始めていたものの、まだオープンプラットフォームになる前。ガラケーの勝手サイトでアイテム課金で成功するケースも出始めていたので、企画を作って営業に行きましたが、ほとんどの人は懐疑的でした。
その後、mixiに次いでmobageがオープンになった時に、改めてゲームのノウハウが必要とされて、お仕事をもらえるようになりました。

 

 

――アーケードから始まり、コンシューマ、PCオンライン、モバイルオンラインと、ゲーム業界の先端事象を追いかけ続けている形なんですね。

 

高橋:結果的にそうですね。会社を作ったときは二人だったので、コンシューマを作れるほどの規模はなかったし、会社やチームとしての実績を参照されるような仕事はしづらかったんですよ。
ところが、モバイル、特にソーシャルゲームの世界は、作ったことがある人は誰一人いなかった。その中で『ドルアーガの塔』でアイテム課金を経験していた実績は、アドバンテージに見えたのかもしれませんね。

 

市場動向が会社のポートフォリオを決める

 

――会社をやっていく中で、会社で目指すべきもの、ビジョンは見えてきましたか?

 

高橋:根本は、お客さんがいないと商売になりませんから、市場動向がありきです。
あまたに社名を変えたときに、この先10年を考えて、会社のミッション、ビジョン、バリュー、カルチャーを再定義して、まずエンターテイメント企業であることをより明確に打ち出しました。ただ、これもメンバーみんなが力を出せる領域でしっかり伸ばしていきましょう、という考え方からです。
社名を変えても劇的には変わらないんですが、技術も少しずつ上ってきて、作るもののクオリティもより高くなり、いろいろなものづくりができるようになったりと、積み上げを形にできるようにはなってきました。

 

――技術力の積み上げは、開発会社として重要ですね。

 

高橋:例えばHDのゲームを作ろうと思っても、技術的にも、やろうと言って明日できるものではないです。そこは市場動向を見て、会社のポートフォリオとして、モバイルに加えてPCやコンソールのハイエンドもやろう、と何年か前から少しづつ体制作りをしています。『Last Labyrinth(ラストラビリンス)』もその一環ですね。


あまた開発のVR脱出アドベンチャーゲーム『Last Labyrinth(ラストラビリンス)

 

――積み上げた技術の出口という感じでしょうか。

 

高橋:逆ですね。マーケットとしてHDもやれるように、という会社の舵取りです。
今やゲーム市場の半分以上はモバイルだし、成長率も高いんですが、グローバルでの戦いが激しくて、日本市場も中国製のゲームにかなり削り取られるようになっています。相対的に考えると、実はハイエンドのほうが競争がある程度抑制されているんです。それに、一本足だと、市場が急に縮小したときに生き残れなくなってしまう可能性もあります。
スマートフォンも新しい機種に更新されていくので、モバイルでもいずれハイエンド相当の絵作りが必要になる時代は来ます。さらに、PCもコンソールも、年率数%ずつ伸び続けている成長市場でもあるんです。
総合して考えて、ハイエンドをやっておくべき、という考え方に至ったわけです。

 

グローバル視点はエンターテイメントにも必須

 

――日本だけで考えるのではなく、最初からグローバルを見据えた考えでしょうか。

 

高橋:人口動勢的にも、グローバル対応はしないと生き残れないとは思います。花開くのがいつかは分かりませんが、5年10年後にはさらに進んだ状況になってるかもしれないですから、それを見据えて。
社内に外国籍のスタッフが多いのも、それを意識しています。今社員の20%ほどが外国籍ですが、もっと高めていく必要があるかと思っていますね。

 

 

――海外の事業部を持っていない状態で20%が外国籍というのは、かなり珍しいようにも思います。

 

高橋:最初は零細だったので、いちいち国籍なんか気にしてなかったというのが本音なんですが、気付くとそれなりに外国籍スタッフも増えました。
ゲームに限らず日本の産業すべてに言えると思いますが、今後の市場動向を見たとき、ちゃんとグローバルで売れるものを作っていかないとどうしようもない。エンターテイメントも当然同じです。まず日本で売ってから、とは言っていられない時代が遠からず来ますから。
日本の強みとして、マンガ・アニメ・ゲームにはまだプレゼンスがあるので、これを世界で売る仕組みを作らなければいけないと思います。ただ、それは別に日本人だけで作らなくてもいい。ハリウッド映画の作られ方と同じように、日本のマンガ・アニメ・ゲームが好きで、クリエイティブにリスペクトがあって、一緒にやりたい人であれば、国籍を問う必要はないんです。

 

――逆に、こういう人はあまたでは難しい、というタイプはありますか?

 

高橋:柔軟性が低い人は難しいです。ゲーム自体、今の形でどれだけ継続するか分からないですから。
ゲーム業界は、主流のプラットフォームが入れ替わり、脱落する人も新しく入ってくる人もいて、を繰り返しています。ぼくらはまだそれほどプレゼンスもポジションもない中で、モバイルオンラインを早めにやり始められたように、新しいプラットフォームには積極的にチャレンジしていきたいです。クラウドゲーミングやブロックチェーンなど、先端的な技術は、一通り出来るようにしておきたいですね。
あまたでやるのはエンターテイメント全般ではありますが、ゲームは収益性が高いし、コンテンツ産業の中でも輸出比率が非常に高いので、今後もゲームをやっていくべきだとは思っています。

 

ゲームを中核に、総合的なエンターテイメントの会社へ

 

――あまたの、これからのビジョンもそこにありそうですね。

 

高橋:ビジョンというか、手段というか、生き残り策というか(笑)。
それとは別に、少しずつやり始めているのは、IPの共同開発です。映像事業もその一環で、今は実写映画に関わりつつも、ゲームほどのトップラインを出せるわけではないんですが、ゲームと映像を一挙に手がけられれば、やっぱり違ってくるはずです。
日本は、映像とアニメとマンガの会社がバラバラで、トータルのプロデュースを考えられる人が結構少ない。なので、そのブリッジになり、ゲームを含めてトータルでコンテンツを伸ばしていける存在になりたいと思っています。
もちろん国内だけではなく、作ったものはちゃんとグローバルにも売っていきます。

 

――最終的に、あまたが目指したいところ、ゴールはありますか。

 

高橋:行けるなら、どこまででも。
ゲームを中核に、総合的なエンターテイメントの会社になっていきたいんです。大手で近い形になっている会社はいくつかありますが、自分の考える形にまるっと被っている会社はあまりない。
そういう意味で、IP開発も含めた総合的なエンターテイメントをできる会社を目指せるといいのかなと思っていますね。

 

――ゲームをスタート地点として垣根なく、ですね。

 

高橋:映像開発もするし、2.5次元舞台やリアルイベントもあるかもしれません。IP開発なので、マンガがあってもいいし、楽曲が先行する形でもいい。形にこだわるのではなく、いろいろな会社さんとアライアンスを組みながら作っていければいいかなと思っています。
全部自分たちで丸抱えでするのでなく、プロジェクトごとにいろいろなアライアンスを組んでいけばいいと思うんです。これが当座のビジョンですね。
エンターテイメントはあまりに先を行こうとし過ぎても駄目ですから、いい具合に半歩先の流れに乗っていけるようにしていきたいですね。

 

 

ーProfileー

高橋 宏典(あまた株式会社 代表取締役社長)

株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント、テクモ株式会社(現株式会社コーエーテクモゲームス)など、国内ゲーム会社4社、韓国ゲーム会社2社で、ディレクター、プロデューサーとして活躍。株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント在籍時代にディレクターを担当したゲーム『どこでもいっしょ』は、マルチメディアグランプリ1999通商産業大臣賞(グランプリ)、第4回日本ゲーム大賞など、多数の賞を受賞。シリーズ累計200万枚を超え、10年を経た今も続編が発表され続けるロングヒットシリーズとなっている。

 

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